はが建築社 社長の登山ブログ

更新が大変ご無沙汰になりました。

 

今回は、天気予報を見て、群馬県の前橋周辺が晴れるという事なので、群馬県の名峰、赤城山系の最高峰、「黒檜山」を登りました。

登山口近くの大沼の手前の牧場を通り過ぎる時、この時期真っ盛りの、「ミツバツツジ」を車窓に見ながら通り過ぎたのですが、あまりの豪華さに引き返して、坂下峠に駐車して、この写真を撮影しました。

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山頂は、結構青空が広がっていて、登山の途中も、ツツジがあちらこちら。

そして、下山後、更に登り返して、隣山の地蔵岳を一周しました。

この地蔵岳の山頂には、父の日とあって、父子連れの団体さんが多く、恐らく、200名前後の登山者で賑わっていました。

下山後、赤城神社とフラワーパークを一見して、帰路につきました。

 

◇山梨県/大菩薩峠   『大菩薩嶺』(2,056.9m)


 今回は、大正初期の中里介山の未完の大河小説で有名になった『大菩薩峠』を訪ねる。
開通したばかりの圏央道川島IC(埼玉県)をスタートして、中央自動車道勝沼ICを出たのが8時。途中朝食で国道20号線から411号線に入って塩山市を東京都多摩方面に向かう。山梨交通のバス終点の裂石を411号線を左に分け右折して、大菩薩峠登山口の道標に従って連続カーブの林道を登り切って上日川峠に着く。

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長兵衛山荘の奥の広い市営駐車場を出発したのが9時。

 登山者用駐車場のない、車道終点である福ちゃん荘売店までの、狭い車道と並行した山道を20分ほどアップダウンすると、その山荘に着く。

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大勢の登山者や観光客が一服している。ここから左又は右回りの周遊コースである。観光客は右回りで50分ほどで大菩薩峠へ行けるから人気だ。だが、そこから先は結構キツイ。

 登山者は左回りで唐松尾根へのコースをとる。カラマツ林をくぐり抜け、草原の斜面をジグザグ息を切らして登る。春から秋にかけて、花のない時期はないほど豊富だ。特に夏には高山植物の宝庫でニッコーキスゲが咲き誇る。急斜面を後ろを振り返りながら登ると近くで富士山が応援してくれるから、苦しさも忘れてしまうようだ。

 頑張って登り切ると雷岩下の広場に着く。ここも大勢の登山者が南方向を見て休んでいる。それもそのはず富士山や南アルプスが一望のもとだ。

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右から甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳、手前に鳳凰三山。その左に、富士山の次に日本で2番目に高い北岳(3,192m)や間岳から赤石岳...楽しみのために、ここまで。

 大菩薩領の頂上は左へ20分ほどで往復できるが、樹林の二等三角点なので、展望は良くないが、記念に登ってきても良い。雷岩に戻り、東に大菩薩峠に向かい、岩場の稜線を緩やかに下る。妙見ノ頭の西側を下ると、ザレ場の鞍部で休憩舎のある賽の河原に下り着く。ここが、かっての大菩薩峠だ。従ってコースはここから少し登りがあり親不知の頭。ここに立つと南アルプスも見えなくなるが、めざす大菩薩峠が介山荘を抱いて姿を現す。

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 途中、中里介山の文学碑を読んで雷岩から数えて30分ほどで大菩薩峠に着く。

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介山荘は2007年に建て替えられて、食事も宿泊も可能だ。ここは登山道の十字路。甲州と江戸を結ぶ街道の要所だ。直進すれば熊沢山から石丸峠へ。左に下れば奥多摩の小菅・丹波村への古道。介山荘の脇を、峠に何故小型トラックや四駆自動車が有るのか首をかしげながら、右に上日川峠方面に下る。

 樹林帯の中だが緩やかに下り、勝縁荘・次に富士山の見える富士見平の富士見山荘を過ぎると、峠からの時間で45分ほどで福ちゃん荘に着き、残り20分ほどで上日川峠駐車場に帰り着く。 車での帰りは、中央道の慢性渋滞を避けて柳沢峠を越えて奥多摩から青梅方面に向かうことにしている。

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この柳沢峠は、黒川鶏冠山への登山口であり、後述します。

◇群馬・新潟県/三国峠   『三国山』(1,636m)


 関越自動車道「月夜野IC」のETC専用を出たのが朝8時。国道17号線を新潟方面に旧三国街道を何度も横切り、途中で朝食を済ませて猿ヶ京温泉街を横目で見て、その先の法師温泉の左折矢印も横目で見て、高い高速料金を避けてぶっ飛ばして来るトラックに追い掛けられながら三国トンネル手前の管理事務所の駐車場に着いたのは9時。トンネルの先の新潟県側にも広い駐車場と登山口はあるが、近いと得かと思い...。

 身支度をして歩き出すと3分ほどで上越大橋を渡り、トンネル直前の登山口に標柱が立つ。そこで、このトンネルはいつ出来たのかと銘板を探すと、あった。昭和32年12月竣工とある。1957年。しかも雪深い12月とは何とも解せない。昨今ならトンネルから少し下った所の苗場スキー場はシーズン真っ盛りの時期である。当時は車は少なく、馬か籠か歩いて越えたの時代だが、江戸から越後へは、それまではこのトンネルの上の峠を歩く道しかなかったことになる。遠回りでは、西に信州長野の飯山か現在の上越市。東に会津藩の奥会津枝折峠を越えて小出に出たのか...。後の私の研究を待たれたい。

 靴のヒモを締め直し、右に沢を分け、ジグザグ道を30分で三国峠下の分岐に着き、10分ほどで三国峠に出る。

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峠そのものからの展望は樹木がありイマイチだが、この峠は大変興味深い物がある。



大きな鳥居がある御坂三社神社

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(避難小屋にもなる)もそうだが、その傍らにこの峠を越えた歴史人、歌人・文人・戦国武将・偉人と伝えられる著名人の名が刻まれた石碑が建っている。

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平安時代の坂上田村麿や弘法大師に始まり、上杉謙信の先祖代々から伊能忠敬や原敬、比較的最近として与謝野鉄幹・晶子や川端康成ら60名ほど。興味ある方ならこの峠まででも有意義と思える。

 右側の標識に従い登り出すとすぐに木の急階段となる。数年前と比べてこの登山道は良く整備された木道であるが殆ど平らなところは無く、山頂まで階段だからキツイ。

 30分ほど、後ろの苗場山や草津白根山近くの白砂山を振り返りながら息を切らして登ると、草原台地のお花畑に着く。花の多さに、今までの辛さを忘れてしまうから不思議だ。

 山頂までは、途中で隣山の平標山(1,984m)・仙ノ倉山(2,026m)への分岐を左に別け、あと30分ほど木段を登る。山頂は狭いが晴れていれば南に赤城山、榛名山。西に苗場山(2,145m)などが望まれる。下方の峠方向を見下すと法師温泉が国道17号の道下に小さく見える。

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(お花畑から峠を望む)



 下山は来た木段道を三国峠下分岐まで戻り、法師温泉・晶子清水方面へ直進する。トラバースコースのようにアップダウンの有る山道を、歴史人気分を味わいながら上州古道を歩くのは、何とも言えない気分を感じられる。20分ほどで、実は大変、興味深いと言っては申し訳のない場所に着く。1,740年、長岡藩士が犯人護送中に雪崩に遭い死亡したとある。

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(長岡藩士8名の墓のある場所)


 「峠に歴史あり」。小生が「峠」に興味を抱いた原点がここにある。

 歴史を感じたあとは5分ほど下り、晶子清水分岐に着く。休憩舎とトイレがあり、その少し先(50m位)に歌人、与謝野晶子が旅の途中に飲んだと言われる清水があるので、訪ねてみるのも良い。この先は永井宿から猿ヶ京温泉に至る。分岐まで戻り、国道17号方向に左折して20分ほどで国道に出る。右に向かい5分ほどでトンネル管理事務所の駐車場に着く。帰路は猿ヶ京温泉・第3セクター市営まんてん星の湯で汗を流し、サッパリ!

◇埼玉県 「顔振峠」

晴れるはずだった2008年6月15日(日)、越生・黒山三滝の駐車場に着いたのが朝7時。
今回の「峠」は外秩父連山の『顔振峠』を越える。ザックに缶ビールと昼食を入れ、超小型携帯ラジオのイヤホンを耳に、颯爽と三滝を目指してスタート。その三滝の手前を左に分け、「笠杉峠」登山口を横目に見ながら通り過ぎ、急な岩の階段を一気に登り切ると、越生・梅の里から「高山不動・関八州見晴台」への車道に出る。

このコースは高山不動峰道の反時計回りで、全行程6時間・歩数16,500歩コースである。峰道への近道は4コースあるが変化のあるこのコースが何かと良い。車道から右へ「熊出没注意!」の看板と「関八州見晴台」の見落としやすい小さな標識のある登り口の急坂を登り、山頂の関八州見晴台着は10時。ようやく晴れて、遠く西に富士山、北西に両神山、北に赤城連山、東に筑波山、そして驚くことに、南には都心は勿論、丹沢連峰や三浦半島が見えるのだ~!

360度パノラマの景色を楽しんだら、西に下山。15分ほどで峰道車道の高山不動茶屋に出る。そこで満開のツツジに出会う。結構な大木だ。
あとは峰道を何度も車道を横切りながら『顔振峠』に着く。登山者が30名ほど。武蔵越生から日高高麗を経由せずに吾野へのショートカットは間違いない。
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観光案内板に「源義経が峠越えに振り返った」とある。読者の楽しみのために詳しくは省略する。ゆっくり昼休みして、黒山三滝への下山には1時間ほど。
◇埼玉県 「正丸峠」~「妻坂峠」

日曜日に飯能から秩父盆地に向かって"峠"を越えた。お天気は上々だ。正丸山 の山麓のレンゲツツジも今が見頃だ。

新緑がスバラシイ!山道の路傍や麓の山村には自生の山フキ(蕗)とワラビ(蕨)が豊富だ。この峠は「旧正丸峠」で古道である。最近"峠"に興味を持ってしまって、峠越えの登山をしている。関東100名山を殆ど登り切ったのだが、名のある山と山の間には"峠"があるのは知っていても、なぜ峠に名前が付いたのかに気づいたのが60歳過ぎた爺になってからとは恥ずかしい。"峠"とは高い山を越えて隣の國(例えば甲州から武州、武州から信州)や村へ行くのに一番低いところ。昔の旅人はここを通った。

この山の「旧」の付かない峠は車道である。車での峠越えは数十分。
また、国道299号はトンネルである。車で通れば数分の所、驚く無かれ昔の人は、草鞋を履いて数時間掛けて越えたのだから、そこに興味を持ってしまった。
山裾の集落から南に登り返して、クサリ場・岩山の「伊豆ヶ岳」へ。一旦下山すると「山伏峠」。ここが名栗・八王子方面から秩父へ通じる峠である。更に登り返して2時間くらい登ると、展望の素晴らしい「武川岳(標高1,052m)」。この山と「武甲山(標高1,295m)」の間の峠が「妻坂峠」で青梅・名栗から秩父への急坂でキツイが近道である。
ここから下山して一廻りが歩程6時間・歩数24,000歩。
"峠"に歴史有り。次回からは後々『あゝ野麦峠』やNHK大河ドラマ『風林火山』にまつわる峠について考察してみます。
初めまして。私は「会津」の田舎育ちなものですから、「自然大好き人間」です。大学生時代は都会暮らしでしたが、休日前日には毎週のように、新宿駅から夜行列車で神奈川や山梨や長野の山に出かけた、と言うより飛び出したものです。

サラリーマン時代もワンダーフォーゲル部でそうでしたし、還暦をとっくに過ぎた今も、住まいが埼玉の上尾の自然の多い所でも満足せずに、毎週のように山へ飛び出しております。「日本百名山」と言われる山のほとんどと、自宅の4階の屋上から見える名のある(有名な)関東の山々のほとんども、一度は「頂(いただき)」に立ったようです。

そこで、現在は『峠シリーズ』をテーマに山々を訪ね歩いております。せっかくの素晴らしい景色や興味津々の「峠にまつわる歴史物語」を、皆様に是非とも訪ねていただきたく、ご紹介しょうとして執筆しておるところです。

次回は『正丸峠』をご紹介しましょう。
正丸駅から

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